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BS朝日「Fresh Face」(キューピー提供)※約3分

萩野菜ピクルス

萩野菜ピクルスは平成14年5月に誕生しました。

pickles-shop09

萩の農業の現状を知り平成12年に農家さんの一助になる仕事をしようと個人事業として起業しました。地元萩の野菜を市外県外に売り出そうと萩で採れた野菜を「萩野菜」と名付け販売を始めたのです。
萩野菜

人生初の農業

農業について全く知識がなく、まずは自分でも栽培をしてみようと畑を借り白菜の生産を始めました。

しかし現実はそんなに甘くなく、3000個植えた白菜は500個しか収穫出来ませんでした。
白菜を栽培01白菜を栽培02

萩野菜とは

農業と同時進行で契約農家さんを探し始め、知合いのツテや飛び込み交渉を繰り返し約15件の契約農家さんと取引が出来る事になりました。萩で採れた野菜を「萩野菜」と名付けブランドの確立を目指しました。

萩野菜の販売

萩野菜コーナー02萩野菜コーナー03

まず萩の人に地元の野菜はおいしいんだという事を知ってもらう事から始めようと、地元スーパーに交渉に行き萩野菜コーナーを設置させてもらい4件のスーパーで萩野菜の販売を始めました。

萩野菜を車に積む

毎朝5時に起きて契約農家さんや直売所などを周り野菜の集荷をして回る日々。家に戻ると一家総出で野菜の梱包をしてスーパーに出荷をするというルーティンを1年半繰り返します。

野菜の梱包作業

販路拡大の失敗

萩野菜の販売を初めて1年半が経った頃、販路を拡大を試みて日本を代表するGMS本社へ営業の電話を何度も掛けていたのですが全く取り合ってもらえずにいました。

そんな中、何度も何度も電話をかけていると奇跡的に本部長と直接お話する事ができ、アポイントが取れ萩野菜を売り込みに行けることになりました。

意気揚々と本社へ資料と野菜を持っていくと本部長から「取り組みが4年遅すぎる。これが4年前だったらこちらがお願いをして野菜を提供してもらっていた。」と一蹴されてしまいました。交渉はものの10分で打ち切られてしまいました。

販路拡大の失敗から得た事

その帰り道の車中、凹む事すら忘れある事に気づき1人興奮していました。
「大手でも欲しい物があればお願いをしに来るという事」
「大手は常に目新しい商品を探しているという事」
「自分が進めている今の萩野菜の売り方では相手には魅力が感じられないという事」

ただの野菜の横流しのような方法でのブランド化に自分でも限界を感じていた時期でした。
ならばあっちから欲しいと言ってくる程の「価値のある商品」を作ってしまえばいいんだと頭の中がスカッとした感覚でした。
素人の自分が今から野菜を勉強をして生産に取組んでしまったら10年はかかってしまうと思い、自分の得意分野であるデザインとプロモーション力を活かした加工製品を作る事を決意しました。

ピクルスとの出会い

とは言ったものの何をつくればいいのか分からず相変わらず野菜の販売をしていた時の事、農家さんがピクルスを作って販売をしているという話を聞きその農家さんに会いに行きました。
するとそこにはただ瓶に野菜を詰めただけのピクルスが並んでいたのですが、それを見て衝撃を受けました。

ただ瓶に詰めてあるだけなのにそれだけでメチャクチャお洒落だったのです。おじいちゃんにお話を聞いてみてもデザインを考えている様子は全く見えず本当にただ詰めているだけ。

色とりどりの野菜が瓶詰めされるだけでこんなに完成度が高く見えるのか…そう考えると自分がちゃんとデザインを考えプロデュースすればもっと完成度の高いものができるはずと、その日からピクルス作りに奮闘します。

ピクルスを食べ続ける日々

今までピクルスと関わる事が殆どなく食べた事もあまり無かったので、まずは味を知ろうとありとあらゆるピクルスを食べ始めました。

ピクルスで有名なお店があると聞けば東西どこへでも行って食べて、家でその味を再現してみるという事を繰り返していました。

この時決めていたのは、味については自分が美味しいと思ったものを商品にするという事でした。レシピを誰かに考えてもらったりしてしまうと自分が好きな味ではない時に断りづらかったり、自分がおいしいと思えないものを売るという事が絶対に嫌だったのです。

とは言え作ったことが無いのですから、自分で美味しいと思えるものが作れる様になるまで作り続けるという方法が残されていませんでした。

人に感想を聞くのも禁止にしていました。人の味覚はバラバラで、あーすればいい、こうすればいいという様な声を逐一聞いていたら商品がブレてしまいますし、時間が膨大にかかってしまいます。

とにかく自分の資金で作るんだから責任も全部自分で背負うし美味しくなければ売れないだけの事、と割り切って1人でひたすら作って食べてを繰り返していました。

ピクルスは日本人になじまない?

そんな中いつもの様にピクルスを食べに、ある県のピクルス専門店に行った時の事です。

お店にピクルスが全く見当たらない。

オーナーさんに話を聞いてみると「もうピクルスは売ってない。他のを中心に売ってる」との事でした。理由を聞くと「最初はおもしろがって皆食べてくれるけど全然リピートにならなかったんです」という衝撃の一言でした。

「(確かにそんなに頻繁に食べたいかというと自分でも首をかしげてしまう所があるが…)」とショックを隠せずにいた時、オーナーさんが「でもこれだけは何故かリピーターがついたんです。これだけは無くさないでくれって。」その商品を見せてもらうとそれは「らっきょのピクルス」でした。

ピクルスの定義

「らっきょのピクルス」を食べさせてもらうとそれは見紛う事なき「らっきょの甘酢漬け」でした。作り方を聞くとらっきょの甘酢漬けそのものでした。

「(そうか、この人がこれをらっきょのピクルスと言えばこれはらっきょのピクルスになるんだ)」

一応ピクルスの定義として塩漬けした物を酢漬けにしたものという認識はあったのですが、せめて酢漬けから離れてなければピクルスだな、と解釈を広げ今まで勝手に決めていた制約を取り払うと色んなレシピが頭に浮かんでくる様になってきました。

日本人の味覚にあったピクルスを

そこのお店で作っていたのは西洋の本場のピクルスだったそうです。お酢と香辛料メインの酸度の強いピクルス。

しかし、これはリピーターがつかず人気があったのは「らっきょの甘酢漬け」のただ1つ。この違いは甘酢漬けは食べなくても日本人に味が想像出来るという所だと考えた自分は、ネーミングを聞くだけで味がイメージ出来るピクルスを作る事にしました。

そして一番最初に完成したピクルスが「昆布で出汁をとってみりんで味付けをした和風味のピクルス」でした。

売れるかどうか全く分からないピクルス

商品を取扱ってほしいとお店に営業に行くと、見た目のインパクトが強烈なのか殆ど断られる事がありませんでした。しかし、売れるかどうかは別問題。

女性をターゲットにしていたのでロゴやデザイン、野菜の詰め方などはオシャレにして、思わず手に取って見たくなってしまう様なイメージで作りました。

「これかわいい!!」と手に取ってもらえるイメージまでは鮮明に浮かんでいましたし自信もあったのですが、そこから一段階上の「レジまで持って行っていく」という行為は全くの未知数でした。今までの人生で自分が作った物を人に売るという事をした事が無かったので想像もできなかったのです。

しかし、販売を開始した翌日「5本売れました!」と連絡があった時は自分が作ったものが認められた気がして涙が出る程嬉しかったです。

店舗開店

萩野菜ピクルス山口店準備06萩野菜ピクルス山口店準備04

店舗と言っても工場の横に空きスペースがあったのでそこを改装しただけですが、お金もかけられないので仲間に手伝ってもらいながら木材やガラスをネットで注文をしてコツコツと作りました。

萩野菜ピクルス山口店06

ピクルスは並べるだけでお洒落に見えるのでちょっとしたコジャレタ空間になって個人的には気に入っています。

卸販売だけでは分からなかったリピーターさんの割合ですが、おかげさまで売上げの3割がリピーターさんに支えられています。

値段は決して安くはないですし、頻繁に食べるものではないというのは十分理解しているのですがリピーターさんの多いお店だなと実感しています(手前味噌ですみません)。

「種類が沢山あるから前回買えなかった他の種類を試しにきました」という声を頂く事が一番多いのですが、それは前に買ったピクルスの味付けが合格ラインだったから次を試して下さっているのだな、と勝手に解釈をしています。

さいごに

2014年に生まれた萩野菜ピクルスはまだまだ歴史は浅いです。

しかし当初の目標であった「向こうから欲しいと言われる商品を作る」という目標をクリアする為に試行錯誤し、今では日本全国の小売店様とのお取引をするまでに至りました。
これまで多くの方からピクルスの作り方を教えて欲しいと連絡を頂きました。
この度ピクルスアカデミーを開校するにあたり、今まで自分達が試行錯誤して培ってきた技術や知識は全て包み隠さず受講者の方へ伝授したいと思っています。

萩だけでなく、特産品にめぐまれながらも活かし方がわからない地方は日本各地にあり、頭を悩ましている方も多くいる事だと思います。

わたくし達の経験が皆様の地域の一助になれるよう全力でサポートする所存でございます。
これまでなかった新しいものを、一緒に生み出していきましょう!

萩野菜ピクルス代表 椋木